「鎭子(しずこ)さんが来年のNHKの“朝ドラ”に!」。ビッグニュースが舞い込んだのは今から半年ほど前のこと。もちろんとても嬉しかったのですが、実は驚きはあまりなかったのです。激動の時代を生きぬき、いつもいっしょうけんめいな大橋鎭子(大正9年〜平成25年)のことを、まわりは「“朝ドラ”の主人公を地で行っているような人」だと思っていたからです。
戦後すぐに花森安治とともに『暮しの手帖』の前身である『スタイルブック』を創刊して以来、大橋は70年近く編集部に出勤していました。亡くなる少し前まで「何かおもしろいことはない?」と編集部員に語りかけていた大橋は、社内でも人気者でした。
4月からスタートする連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は大橋の人生や『暮しの手帖』の軌跡をモチーフにしながら、戦前から戦後にかけて明るくたくましく生きて行く人々のストーリーとのこと。今からとても楽しみです。それにさきがけこのコーナーでは、生前大橋に聞いた話や大橋のことを知る方達に伺った大橋のエピソードをお伝えしていきたいと思っています。
たいへん勝手ではありますが、以降大橋のことを「鎭子さん」と書かせていただくことをお許しください。『暮しの手帖』ではいっしょに働く人を上下なくさんづけで呼んできました。その気配をそのままにご紹介していければと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、鎭子さんは現在放送中の“朝ドラ” 「あさが来た」のヒロインモデル・広岡浅子さん(嘉永2〜大正8)が創設に尽力した日本女子大学(当時は日本女子大学校という名前でした)に通っていたことがあります。女学校を卒業後いったん銀行に勤めたのですが、仕事をするうちに「もっと勉強をしたい、しなければ」という思いがわき、20歳で入学を果たしたのです。女は女学校を出たら次は嫁入りという時代に家族を守り生計を支えるために職業婦人の道を選んだだけでなく、一旦社会人となってからの方向転換。さぞかし強い向かい風だったろうと想像しますが、思ったら行動という鎭子さんの基本はその頃からかわりません。残念ながら入学してしばらくして体調を崩したため、学業は志半ばであきらめざるをえませんでした。しかし広岡浅子さんに続いて鎭子さんが“朝ドラ”のヒロインモデルになることに、人と人のつながりは時を越えるのだと強く感じます。
次回は鎭子さんが守ろうとした大切な家族についてご紹介します。そこには鎭子さんと『暮しの手帖』のルーツがあります。お楽しみに!
(田中真理子 文)