晴子さんの手を見て思い出したのは、『暮しの手帖』の誌面に登場する“手”のモデルはずっと鎭子さんがしていたというエピソードです。『君がやれば』と言い出したのは花森さん。鎭子さんの手が初登場したのは昭和25年の第7号で、『暮しの手帖』のグラビアページに初めて食べ物の記事を載せ、大好評だった記念すべき号でもありました。
テーマは『誰にでも必ず出来るホットケーキ』。銀座の人気喫茶店「巴里コロンバン」の料理人に教わったホットケーキの作り方を、プロセス写真入りで紹介したのです。
「花森さんは洋菓子職人(男性)の手ではごつごつして、読む人が楽しく作ってみたいという気がしないのでは、と思ったのかもしれないわね。だから『君がやれば』ということになったの。それ以降、料理や編み物に限らず大工道具を握ったりもほとんどわたしの手」と鎭子さん。
ホットケーキのページを見ると確かに女の人の手で、卵を割ったり、粉をふるいにかけたりしています。今見ると全く違和感がなく、「日本のパンケーキのルーツはここにあったのか!」と感慨深くはあるものの、手はさらりと見過ごしてしまいます。でも当時の読者からは何度も「どなたの手ですか?」「どんな手入れをなさっているのでしょう?」といった質問をいただいたそう。
実際鎭子さんは手にはたいへん気を使い、寝る前のマッサージは欠かさなかったし、暑い日でも手袋をして手をかばっていたと言います。 先日大橋家に伺った際、晴子さんが手袋をしているのを見て思ったのは「晴子さんは鎭子さんのピンチヒッターがいつでもできるようにと思ってらしたのかもしれない」ということ。それはあながち間違いではないかもしれません。
鎭子さんのモデルは手に限りませんでした。 ある時は浴衣の反物で作った直線裁ちの服を着て、またある時はサブリナパンツで家事特集のページに誌面に登場しています。こちらも花森さんの発案であっただろうと思いますが、写真にはプロのモデルとは違うリアリティがあるように思えます。毎日をいきいきと働き、生きた鎭子さんは写真でも誰にもこびることなくはつらつ。女性の読者には評判が良かったのではないでしょうか。でも自然体でカメラの前に立てるなんてすごい度胸ですよね。
“朝ドラ”では女優の高畑充希さんが演じる小橋常子にも、モデルをつとめるシーンがあるでしょうか。鎭子さんは楽しみにしていると思うのですが。
(田中真理子 文)