3月よりスタートしたこのコラム。今回は「 グリーンクラブ」についてお話したいと思います。
今手元に鎭子さんの文字で表紙に「グリーンクラブの記録帖」と書かれた3冊の大学ノートがあります。
中に記されているのは昭和26年〜38年までの113回に及ぶ会合の記録。会に集うメンバーたちの楽しそうな写真が添えられています。
どんなきっかけで始まったのか、3冊以降のノートはあるのか。今となっては想像するしかないのですが、記録帖の内容、暮しの手帖社や大橋家でよく会合がもたれていることなどから鎭子さんを中心に同年代、当時30代の働く女性中心とした仲間の集まりだったようです。
毎月1回講師を招いて話を聞いたり、ガーデンパーティを開いたり、スケートをしたり、日帰り旅行にでかけたり、おしゃべりしたり。集う仲間は多いときで30名ほど。当番制で記録を書き続け、たとえば講演を聞いての感想からも当時の女性たちが日々の暮しの中で思っていたことがいきいきと伝わってきます。
講師の面々はジャーナリスト・国会議員・外交官・銀行家・作家・女優・俳人と多岐にわたり、生の声を聞けたなんてうらやましい! と思うような方ばかり。「ケテルのサンドイッチ(第25回)」、「松本楼のお茶とプリン(第52回)」、「トロイカのお菓子(第82回)」など時おり記録された食べ物にも興味は尽きません。
しかしこのクラブ、見聞を広め、時間を共有しながら大きな目標を抱いていたようです。それは自分たちが老後を楽しく過ごす場所をつくること。各自お金を積み立て、お金が貯まったところで安全な運用をしようという話、軽井沢や房総の土地を紹介されたという話も記録され、「困った時は助けあふと言ふ現在の行き方が底力となっているので愛情を持って卒直な意見の交換により団結して行きたい。又別に今迄の集まりは楽しすぎて将来の希望に甘い様な気がする。(中略)老人ホームの建設を望む声が勿論大きい。始めは小さくとも自由に動く事が出来る私達の部屋、30年後には実現したい」などのメモもくりかえし見られます。
昭和30年代の女性たちが抱いたこの夢は実現することはありませんでした。でもそれから半世紀以上経った私達も今、思いますよね。老後友人たちといっしょに暮らせたら穏やかで楽しいだろうな、と。このクラブのメンバーと話せたら盛り上がっただろうと思います。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この通販サイト「グリーンショップ」を命名したのは鎭子さん。その心には楽しい思い出がいっぱいの「グリーンクラブ」のことがあったに違いありません。
(田中真理子 文)