今回は鎭子さんの妹・晴子さんを訪ねた時のお話の続きをご紹介します。 現在94歳の晴子さんは今も母の久子さん、姉の鎭子さん、そして妹の芳子さんと暮らした家に住んでおいでです。鎭子さんとの思い出について伺うと「みんな忘れちゃってるから」とおっしゃりつつ、「鎭子さんは人の前に立ってどんどんなんでもする人。でもやさしかったわねえ。おこられたことはないもの」と穏やかな口調で続けてくださいました。言葉数が少ないのはご高齢もあるでしょうが「私は人の前に立つのが大嫌いではずかしがり」という性格ゆえかもしれません。
そんな晴子さんの話を50年以上お手伝いとして大橋家に住み込みで働いている神原英子(かんばらえいこ)さんが「この家はめずらしい家ですわね」と続けてくれました。
「この家は人を疑わない、親切な人ばかりなんです。自分だけ、ってことがないの。たとえば自分がおいしいと思うとだれかに食べさせたくて。じゃがいもをたっくさんいただいたときなんか、蒸して、家の前の道路工事をしている人も招き入れてごちそうしましたね。見ず知らずの人がなかでごはんを食べている(笑)。そういうことがしょっちゅうでした」。
英子さんのお話で思い出したのは「私はね、おせっかいなのよ」という鎭子さん自身のことばとそう語るときの茶目っ気のある表情、そしておせっかいにまつわるさまざまなエピソードです。いずれそれもご紹介したいと思っているのですが、お宅訪問中にもその片鱗をかいまみました。

鎭子さんと芳子さん。昭和28年頃、自宅の庭で。とてもスタイルのよい姉妹でした。
今回晴子さんのご家族にお願いして、鎭子さんと芳子さんが愛用していたアクセサリーを見させていただいたのです。というのもグリーンショップで紹介している“鎭子さんのブローチ”がとても素敵で、そういえばおふたりはおしゃれだったなあ、と思い出したからです。
「こちらが鎭子さん、こちらが晴子さん」。やはりたくさんのブローチやネックレスがのこされていました。それぞれに個性もあり、長女の持ちものは大胆でぱっと目を引き、末っ子のほうはどこかかわいらしい。でもなかにはどちらにも共通のブローチも数点。それを見て英子さん、「私もそれ持ってます」と自室からお持ちくださいました。確かに同じものです。「なにかのときに作家に頼んでたくさんつくってもらってわけたんだったと思いますよ」とのこと。やはり自分がいいと思ったものは誰かにもあげたかったのでしょう。
2016年春のグリーンショップでは“鎭子さんのブローチ”をつくりましたが、今後“芳子さんのブローチ”をご覧いただくこともあるかもしれません。どうぞお楽しみに!
(田中真理子 文)