2016.04.14 木

鎭子さんの時代

第4話 手のモデル - 暮しの手帖の通販会社 グリーンショップ BLOG

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照明で肌が赤くなったこともあり、肩はタオル、
目はサングラスで防備して撮影に臨んだ鎭子さん。

 

 

 

 

    晴子さんの手を見て思い出したのは、『暮しの手帖』の誌面に登場する“手”のモデルはずっと鎭子さんがしていたというエピソードです。『君がやれば』と言い出したのは花森さん。鎭子さんの手が初登場したのは昭和25年の第7号で、『暮しの手帖』のグラビアページに初めて食べ物の記事を載せ、大好評だった記念すべき号でもありました。

 テーマは『誰にでも必ず出来るホットケーキ』。銀座の人気喫茶店「巴里コロンバン」の料理人に教わったホットケーキの作り方を、プロセス写真入りで紹介したのです。

 

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昭和25年の『暮しの手帖 7号』より。 卵白をしっかり泡立てて作るレシピです。
琺瑯のボウル、フルイ、鉄のフライパン、そして水玉のエプロン。
スタイリストのいなかった時代、道具や服装選びや準備はどうしていたのでしょう?

 

 「花森さんは洋菓子職人(男性)の手ではごつごつして、読む人が楽しく作ってみたいという気がしないのでは、と思ったのかもしれないわね。だから『君がやれば』ということになったの。それ以降、料理や編み物に限らず大工道具を握ったりもほとんどわたしの手」と鎭子さん。  

      ホットケーキのページを見ると確かに女の人の手で、卵を割ったり、粉をふるいにかけたりしています。今見ると全く違和感がなく、「日本のパンケーキのルーツはここにあったのか!」と感慨深くはあるものの、手はさらりと見過ごしてしまいます。でも当時の読者からは何度も「どなたの手ですか?」「どんな手入れをなさっているのでしょう?」といった質問をいただいたそう。  

      実際鎭子さんは手にはたいへん気を使い、寝る前のマッサージは欠かさなかったし、暑い日でも手袋をして手をかばっていたと言います。 先日大橋家に伺った際、晴子さんが手袋をしているのを見て思ったのは「晴子さんは鎭子さんのピンチヒッターがいつでもできるようにと思ってらしたのかもしれない」ということ。それはあながち間違いではないかもしれません。

 

 

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昭和27年の『暮しの手帖 16号』より。直線立裁ちのワンピースを紹介した「浴衣のように着る服」より。撮影場所は銀座松坂屋屋上。背景から当時の銀座の様子が伝わってきます。

 

      

鎭子さんのモデルは手に限りませんでした。 ある時は浴衣の反物で作った直線裁ちの服を着て、またある時はサブリナパンツで家事特集のページに誌面に登場しています。こちらも花森さんの発案であっただろうと思いますが、写真にはプロのモデルとは違うリアリティがあるように思えます。毎日をいきいきと働き、生きた鎭子さんは写真でも誰にもこびることなくはつらつ。女性の読者には評判が良かったのではないでしょうか。でも自然体でカメラの前に立てるなんてすごい度胸ですよね。

 

 

 “朝ドラ”では女優の高畑充希さんが演じる小橋常子にも、モデルをつとめるシーンがあるでしょうか。鎭子さんは楽しみにしていると思うのですが。

 

 (田中真理子 文)



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