堂 々とした写真
昭和52年刊の『暮しの手帖Ⅱ世紀48号』に掲載された「レモンとチョコレート 二つのムース」のページで手が止まったのは、その堂々とした写真と、そこに添えられた料理家の名前ゆえでした。
余分な飾りのない写真からは、おいしさがストレートに伝わってきます。ムースと器との組み合わせも、レモンを並べただけのデコレーションも、スプーンですくって「ほいっ」とムースの上に落としただけのような生クリームのフォルムも、かっこいい。それはさりげなく見えるけれど、実はセンスがよくないとできないこと。料理家の力が大きいなあ、と思えました。
昭和52年刊行『暮しの手帖Ⅱ世紀48号』より。カラー2ページ、モノクロ2ページの記事です。写真をクリックして拡大するとレシピが読めます。器はエミール・アンリ。『お料理はお好き 入江麻木の家庭料理』にも登場するので、ご本人の私物だったのでしょう。 |
料 理家は入江麻木さん
これを作ったのは入江麻木さん(大正12年~昭和63年)。当時大人気の料理家で、戦時中に結婚した相手がロシア貴族の末裔だったことや、ひとり娘の入江美樹さんがモデルとして一世を風靡、指揮者の小澤征爾さんの妻であることなど、華やかな話題に包まれた方でした。でもそれは周りの人のこと。探偵も、麻木さんのことを憧れの超絶美人の美樹さんのお母さん、と表面的なとらえ方をしていたように思います(当時の探偵は今よりもっとひよっこでした)。
ところが昨年、たまたま麻木さんが昭和52年に出した料理本『お料理はお好き』が復刊されたことを知り、手に取ってみたら、なんと中身の濃いこと! お料理には背景があり、文章は生き生きとしています。もっと知りたくなって、自叙伝『バーブシカの宝石』も図書館で借りて読みました。そして少しですがわかったように思ったのです。
妻、嫁、母、そして祖母であることを大事にしてきた年月が、料理家としての麻木さんの核になっていたこと。努力家で、正直で、柔軟。その時々を楽しく、と心がけて生きてきたことが、お料理の味や見せ方にもつながっているのだろう、と。ムースから話がそれ、ちょっと力が入ってしまいましたが、おやつ探偵は、こんな発見があるのでやめられません。
材料です。コアントローは探偵の台所に常備のリキュール。ひとふりするだけで果物がみちがえるほどおいしくなるのです。 |
「プ ツン」を聞き逃さない
さて、今回作ったのは、ふたつのムースのうち、この時期に嬉しいレモンのムースのほうです。いつもに比べ、用意する材料が多いのが難点ですが、それをクリアすればちゃーんと完成に至りました。酸味も甘さもほどよく、嫌いな人はいないであろうやさしい味は、探偵の家族にも大好評。麻木さんのご家族や、お客様にも喜ばれたに違いありません。
作り方の山場は「プツン」という音をキャッチすることです。よくほぐした卵黄と煮溶かした砂糖水を合わせて鍋に入れてとろ火にかけるのですが、「どこかでプツンといってきたら、火からおろす」と書いてあります。「プツン」を聞き逃すと火が入り過ぎ。卵が固まってしまうのです。耳をそばだてて調理したのですが、ほんとうに「プツン」と音がしたのには、笑ってしまいました。これも麻木さんの発案でしょうか。『暮しの手帖』編集部ならではのポイント紹介のような気もします。
われながらおいしくできました。しかし、レモンを均一に薄く切り、きれいに重ねる根性とセンスが足らず、デコレーションに課題を残しました。 |
5 0歳を目前に新たなスタート
入江麻木さんが料理家としてやっていこうと思われたのは、50歳を目前とした頃でした。美樹さんが結婚して新しい家族を持ち、ご本人の離婚が決まり、「私一人でいったいなにができるだろうーー寂しさと不安で胸がふさがれるような」日々の中で心に浮かんだのが、ロシア人の義父母から教わったロシア料理やお菓子のあれこれ、そしておいしいものをみなで食べて、楽しもうという心だったと言います。
「今度は自分がそれを若い娘さんたちに伝えることができたら」。料理家として活躍したのは10数年間。短い時間でしたが、たくさんのレシピをのこされました。残念ながら絶版になってしまった本も多いのですが、図書館で探すことができます。機会がありましたらぜひ手にとってみてください。
(右)『バーブシカの宝石』(講談社)白系ロシア人のハンサムな男性との出会いと結婚、ロシア貴族の家庭での暮しを綴った自叙伝。バーブシカはロシア語でおばあちゃん。(左)『お料理はお好き 入江麻木の家庭料理』(復刊ドットコム)。昭和52年鎌倉書房より刊行。絶版になっていましたが、昨年読者のアンコールに応えて復刊されました。 |